ものごとが生み出されるとき
想定されるリスクヘッヂや未来予想・生み出すためのHow toでもなく。
(アメリカ はHow toが多いけど。)
何かものの根本的な思想から来るもの。
芸術なんて、「こうしたら書けます・作れます・デザインできます」なんていものは通用しない。
そのhow to的なことは、芸術に対して寄与したかもしれないけど、それは、ほんの一部分。
アメリカの戦後の経済力とかが 場 をつくっていったものであって、
必ずしも、デュシャンとか、エルンストはそんなことだけでなく。
いま、ここの時代に来て、
ものの考え方の基本を見直すことが出来ないだろうか。
芸術的な導入の方法。
ダダイズム、シュールレアリスム、においてよく分かっていること。
産業は自立型の産業じゃないといけない。
原動力になる、考え方、発想が探せると思って、今回の論文にダダイズム、シュールレアリスムも研究するべきだと思った。
ダダイストたちは、世の中を変えたというか、世の中を先取りした。
彼らが、どこが先取りしていて、どこが未成熟のまま、完璧になっていないまま終わったのかを、今日において、振り返って見てみるべきだ。
それこそが、課題のケーススタディである。
と、言いながら、私は自分自身の絶対的な勉強量の少なさを反省している。。。
絶対的に、全く勉強していないと、いざとなったときに応用が利かない。
自分が思想を持たないといけない。
(勉強とは、ただ机に向かってすることだけではなく)
人をひきつけるためには、思想がないといけない。浅はかなことでは人の心は動かない。
思想をつくるため、
時間をつくって、考えること、豊かな時間を持つことだ。
本をよく読むとか。
思想がないと、
大事なものと大事じゃないものの区別が出来ない。
人をひきつける、そのためには、その人が持っていないものを持っていないといけない。
あなたが持っていないものを私は持っているのよ、って事。
考えも、そうなんだけど、自分で生み出していかない限りは自分のものじゃない。
人が輝いているのを見るのではなく、自分が輝いていることを見る。
自分がインタビューをするのではなく、自分がされる側になるような。
自分でものを考えて、自分で発言していく。
自分の言ったことが、若い人に対して、勇気を与えたり,
ムーブメントを起こしたり。
利益を生む以上に、芸術とは大切なことである。
社長になるよりも、勉強して思想の中心人物になること、
世界で発言できるような思想家になる。
芸術の発想っていうものは、
能力をちょっとづつ増やして、50を60にしたり、70にしたりすることではなくて、急に3859とか、
そんな爆発的なエネルギー。
だから芸術って馬鹿に出来ない。
現象として捕らえたら社会に影響していない、もし思想として捕らえたら、社会を呼び起こす力がある、それは、育てることが出来る。
思想、芸術は、増幅装置として考えるべき。
そのシステムを構築するために私は研究するのである。
ダダ、シュール、モダニズムのような抽象表現、
エネルギー、社会を先駆ける意識、判断、美意識、コミュニケーションの仕方。
マルセル・デュシャンは、 便器 を芸術作品にした。
芸術作品というものを馬鹿にした。
これは、逆に言えば、
なんの感動のないものを絵描きずらして書いていることに対しての怒り。
だから本質。
失うものがない、彼らは。
新たに作っていくのが、彼らだから。
