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2009年12月アーカイブ

Never-Ending 70's Italian Design の思想

2009年12月21日

Never-Ending Italian Design


この言葉、ネバーエンディング!なんて、最近耳にしない。


1976年に設立されたイタリアのデザイン集団


ALCHIMIA (アルキミア)


Never-Endhingという言葉は、おそらく、80年代に時代とともに、


なくなってしまっただろう。


70年代から80年代後半にかけて「Never Ending」ということばは、ファッションにおいても、建築においても、

各デザイン、メディア、エンターテイメントにおいも、


あらゆる分野で、ここぞとばかりに使用された。


一種の時代の象徴であったと考える。


では、なぜNever Endingだったのか?


なぜ、この言葉が時代にフィットしたのか?


それを考えると、


70年代から世界のスタイルが変わり、


表現の世界においても、


創造性が豊かであった。


つまり、何かを作れば新しい時代だったと考える。


モノがあふれだして、つくってもつくっても、まだまだ足りないような、


世界は大消費時代を迎えるわけである。


その時代には天井を知らない。


限界がない。


もちろん、公害も、環境汚染も、


世界の発展に言いかえられる。


大量生産は大量消費は、豊かさの象徴である。


そんな創造性豊かな時代は、


モノ創りに対して、リミットがあるなんて想像もつかなかったのだろう。


自ら打ち出したモノは、


これから100年も1000年も続く。


そのような思想のもと、ある意味で、自分の生み出したものは一生モノ


という覚悟のような、感覚だったのかもしれない。

そして、それらのものは、確かに人々の心を打っていった。


モノ創りに対して、永遠に続く保証の夢を抱いていたのかも、しれない。

一方、今日においてはモノ創りは、


企業同士のコラボレーションだったり、


主要部分のみアーティストを招いた形の、


ジョイントデザインが目立つ。


もちろん、社会的な背景や、供給過剰、飽和状態の市場が一つの要因となって生み出した現象だが、

モノは、サーフェスデザインのみに価値がおかれ、


最後のロゴの刻印を押すことにプライオリティがつけられている。


Never Ending?まったく意味を持たない。


限られた時間に限られた個数をるくるだけ。


限定品という名のもとに、逆の意味では企業が在庫や、その他リスクのヘッジングをしている。


コラボレーションは効率がいいから、企業が生きていくためには、


とても良い手法だと思う。


顧客シェアもできるし、


新しい想像も、場合によっては可能である。

しかし、70年代のイタリアンデザインなどを見てしまうと、


ここ最近の動きに関しては、少し寂しさがある。

覚悟をきめてモノを作っていた時代。


自分たちのものが、100年も1000年も生きるものだと信じて、


生き生きと、青くなりながらNever-Endingなんていう名前をつけて作っていた時代。

やはり、輝かしい。

合理性、最小限のリスク、


御膳立てされた中での


サーフェスデザインでの完結、


そんなことメインに世の中が動いているって考えると、結構、安っぽい。


今の時代に、


腹くくって、デザインしている、モノつくっている、


そんな生きている、臨場感のある、デザイナーを尊敬するのは、もちろんだが、


そんなデザイナーを重宝し、企業側の経営やマーケティング都合だけで製品をつくるようなことではなく、

クリエイターを、理解し活かしている企業は素晴らしいと思う。


<近日中にParis特集>
http://www.miu-cosmetics.com/


<Daylyはこちらより更新>

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若者たちよ!

2009年12月21日

先日、某S出版社の社長から、


50年くらい前にあった社会的現象をまとめた本を頂いた。


ラディカルなことに興味があったわけでは全然ないし、


共鳴する内容は一切ない。


しかし、

ひとつだけ強く思ったことがある。


昔の若者たちは、なんとパワーにみなぎっていたのか!


そして、一体今の若者たちは、どこに、この若いパワーを発散しているのか!?


ごめん!

昨日まで、ぼそっと言ってしまった「疲れた~」とか、


そんな言葉を全部撤回したくなった。


若者っていうのは、そもそも、そういうものなんじゃないか。


あふれるパワーと、行動力と、億さない勇気と。

確かに、20代前半は何が何だか、


その出来事の意味を知らないからいろいろなことにチャレンジ出来た。


良い意味でも、悪い意味でも、


世の中を知っていく上で、


少し防御的になる。←と言っている時点で、終わっているが、

若者らしさとは、本来そういうものであると。

若くなくても年齢はどっちでもいいのだが、


なにか、もっと"Power-Full"でいたいし、


"Power-FULL"に刺激を求めたい。


と、ふと思った。

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何かを始める時、

2009年12月21日

何か始めるとき、


しかも、周りが誰もやっていなかったことや、


誰かが、「それは無理・不可能だよ」とかいう事とか、


前例がなかったり、


そして、それをやってみる自分に


自信がない時、


でも、新しいこと、始める時って、


いつもそうで、


「勇気を持て」とか、「自分を信じて」とかなんか、


根性論みたいなこと言う人いるけれど、


結局何をするにも、


「それを、どうしたいのか、それをしている自分の「幻想」"


が観れることが大切。


確実に見える幻想


ちょっと矛盾しているような表現だけれども、


それは、大きなことを始めるときだけでなくて、


日常の些細なことや、もちろん、クリエイティブな作業にしても


同じである。


たとえば、デザイナーは、美しかったり、可愛かったりする


デザインの幻想を見ながら、確実に形に仕上げていく。


それが、可愛いのか、美しいのか、人の心を的確に打てるのか?


そんなことは、作ってみないとわからない。


もしかしたら、外してしまうかもしれない。

可愛くないかもしれないし、美しくないかもしれない。


だけれども、感じる美しさ、可愛さの幻想を見ながら


フォルムを生み出していく。


ところが、この幻想は、時として外れてしまうことがある。

しかし、それでもまた道を変えて違う幻想を見るという手段もまた、


大切なことである。

ダメなパターン、失敗するパターンを想定したり、


想像したりすることはとても簡単だ。


何もしなければ、世の中は何も動かないし、


そのマイナスイメージで頭をふくらますことは簡単だ。


それを考えるのが悪いといっているのではなく、


ふっと立ち止まってみると、


同じ時間、同じキャパシティで考えることが与えられているのならば、


無駄なことを考えないで、


どうしたら、自分の望むことができるのか、


その幻想をみて、実行する、形にしていくようにすべきだと思っている。

ちょっと忙しくなると、ついつい


目先のことしか見えなくなったり、


本当にやりたくて始めたことでも


重荷になってしまったり。これでは本末転倒だ。


いかに、楽しく、自分で選んで進んでいくのか?


それは、どうやって幻想をみていくことができるのか、


ということだと考えている。

不安なことを考えるのではなく、


今を刹那的に生きるのではなく、


無理やり馬鹿みたいに楽しむわけでもなく、


次に起こることの幻想を見て、


今を生きるのもの、


また、違った視点でものを考えることができるのである。


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